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■ Heavy weight
▼ヘビー級ベスト10
1位 モハメド・アリ
2位 ジョー・ルイス
3位 マイク・タイソン
4位 ジャック・デンプシー
5位 ジョージ・フォアマン
6位 ジョー・フレイジャー
7位 ジャック・ジョンソン
8位 ロッキー・マルシアノ
9位 ラリー・ホームズ
10位 イベンダー・ホリフィールド
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20世紀を代表する“カリスマ”・アリの存在はスポーツという範疇を超えるものだった。
ジャック・ジョンソン、ジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノ、そしてアリとヘビー級王者はその時代の象徴ともいえる存在だ。
90年代のタイソン、ホリフィールドの時代が終焉しようとしている現在、ヘビー級ニューヒーローの誕生が待たれる。
尚、現役選手は基本的に割愛してきたが、タイソンとホリフィールドについてはピークを経過して、ある程度の評価も得ているのでランクした。
■1位 モハメド・アリ
華麗なフットワークでマルシアノを翻弄、ポイントをリードしていたアリが13回マルシアノの強打を浴びて逆転KO負け・・・と、言ってもこれはもちろん現実の話ではない。1970年にアメリカとカナダの9百近い劇場で公開されたコンピューターマッチでの出来事。2人は実戦形式で対戦したが、撮影3週間後にマルシアノは飛行機事故で亡くなっている。後に日本でもテレビ放映され、それが私の見た初めてのアリだった。
1964年2月25日、フロリダで開催された世界ヘビー級タイトルマッチで挑戦者のカシアス・クレイは大方の予想を覆し、ソニー・リストンに7回TKO勝ち。ヘビー級に「スピード・ボクシング」の革命が起きた歴史的瞬間だった。
名前もモハメド・アリに変えて、リストンを1回KOで返り討ちにしたのを皮切りに3年間で9度の防衛に成功する。中でもクリーブランド・ウィリアムスをパーフェクトに倒した7度目の防衛戦はアリのベストファイトと言われている。
67年、徴兵を拒否してライセンスを没収されてしまう。3年半のブランクを経て復帰したアリは71年3月ジョー・フレイジャーに挑戦。11回にはKO負け寸前にまで追い込まれ、最終回には強烈な左フックでダウンを喫し判定負け。ブランクが「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ボクシングをスポイルしてしまったのは明らかだった。
これ以後のアリは華麗なスタイルを捨て、頭を使ったボクシングに変身。74年10月、”キンシャサの奇跡”でフォアマンを8回KOに葬った一戦は第2期アリ・ボクシングの集大成と言えるだろう。タイトルは10度防衛したが拙戦も多くなり、78年レオン・スピンクスに不覚を取る。7ヵ月後に雪辱、ヘビー級史上初めて3度王座に就いた。
61戦56勝(37KO)5敗。
■2位 ジョー・ルイス
今世紀初頭,黒人初の世界チャンピオンとなったジャック・ジョンソンは、リング内外の傍若無人な立ち居振舞いで白人たちの怒りと反感を買い、以後黒人ボクサー不遇の時代が長く続いた。そんな黒人達の希望の灯となったのが20数年の時を経て登場したジョー・ルイスだった。
アマで50勝(43KO,RSC)7敗の記録を残したルイスは、1934年20歳の時プロに転向。36年のマックス・シュメリング戦で12回KO負けの不覚を取ったが、それ以外は持ち前の強打で対戦相手を次々とマットに沈めていった。37年6月にジェームス・J・ブラドックを8回KOに下し世界王座獲得。
38年6月シュメリングとの4度目の防衛戦は、政治的背景も絡んでアメリカ、ドイツ両国の国家的威信を賭けた戦いにもなっている。この試合で電光石火の1回KO勝ちを収め、2年前の借りを返したルイスは一躍国民的英雄となった。
在位中に陸軍に入隊した為約4年間のブランクを作ったが、12年間で25度防衛という不滅の記録を樹立した。倒し振りも鮮やかで史上ベスト・フィニッシャーとも言われる。ビリー・コーン、ジョー・ウォルコットらに土壇場で逆転KO勝ちするなど、勝負強さも併せ持っていた。
49年3月タイトルを返上し、34歳で一旦引退する。50年に再起してエザード・チャールズに挑戦したが判定負け。翌年にはロッキー・マルシアノに8回KO負けを喫して引退した。
71戦68勝(54KO)3敗。
■3位 マイク・タイソン
スーパースターの光と影。スポットライトを浴びる量が増えれば増える程、影もまた大きくなっていく。マイク・タイソンほどその影の部分が強調されるボクサーもいないだろう。
マイケル・ジェラルド・タイソンの世界デビューはセンセーショナルだった。86年11月トレバー・バービックを鮮やかな2回TKOに下し、WBC世界ヘビー級王座へ。20歳4ヶ月の史上最年少ヘビー級王者が誕生した。アリ・ボクシングに欠けていたもの−パワーと迫力を再びヘビー級に持ち込んだタイソンの登場は、時代の潮流として必然だったのかもしれない。
87年にはWBA王者ジェームズ・スミス、IBF王者トニー・タッカーを破り3団体の王座を統一。90年2月、”世紀の番狂わせ”でジェームズ・ダグラスに10回KO負けで王座を失った。私生活の乱れから、ボクシングにも狂いが生じたのだった。ついには婦女暴行罪で収監され、4年間のブランクまで作ってしまう。
95年に復活したタイソンは、翌年3月フランク・ブルーノを3回TKOで破りWBC王座にカムバック。半年後にはブルース・セルドンに1回TKO勝ち、WBA王座も手に入れた。
そして11月ホリフィールドの執念の前に番狂わせの11回TKO負けを喫する。97年の再戦では有名な”耳噛み事件”で失格負け。ライセンスもサスペンドされた。
99年のカムバック後、順調に白星を積み重ねルイス挑戦も視界に捉える位置に上がって来た。しかし、ここに来てまた私生活のお騒がせが増えている。ルイス戦の勝敗の行方は、タイソンの”自らとの戦い”の如何によると言ってもいいだろう。
52戦48勝(42KO)3敗1NC。
■4位 ジャック・デンプシー
狂乱の1920年代に、闘争本能剥き出しのファイトで全米を熱狂させたボクシングのヒーローである。大統領の名前は知らなくとも、ジャック・デンプシーの名前は知らない者はいないと言われた。
1919年デンプシーはジェス・ウィラードを打ちまくり、1回に7度のダウンを奪う。当時はニュートラルコーナーに下がるという規定がなく、王者が倒れているすぐ側で待ち受け、立ち上がるや否や連打を浴びせて倒しまくったものだ。デンプシーはその後も一方的打ちまくり、3回終了TKO勝ちで王座に就いた。これが世にいう”トレドの惨劇”であり、この後デンプシーには”マナッサの巨人殺し”の異名がついた。
21年の3度目の防衛戦は、欧州で絶大なる人気を誇ったLヘビー級王者ジョルジュ・カルパンチェ。3回まで挑戦者がリードしていたが、4回に連打を仕掛けたデンプシーがKOで勝っている。この試合は史上初の100万ドル興行となり空前の人気を集めた。
カルパンチェ戦から5年後の26年9月、デンプシーはジーン・タニーとの10回戦で判定負けし王座を失う。ちょうど1年後に再戦が実現。7回デンプシーはタニーからダウンを奪ったが、ルール改正を忘れニュートラルコーナーに行かなかった為レェリーの注意を受ける。その間カウントが遅れKOを逸してしまった。(ロングカウント事件)結局8回にダウンを奪い返したタニーが判定でデンプシーの返り咲きを阻止している。
80戦60勝(49KO)7敗7分5ND1NC。
■5位 ジョージ・フォアマン
突き出たお腹、ノロノロとした動き、繰り出すパンチも往年の迫力はない・・・カムバックしたジョージ・フォアマンが再び頂点に立つ可能性はゼロに等しいと思われた。しかし、信じられない奇跡が起きた。中年のヒーローとなったフォアマンは20年の歳月を経て、ようやくアリの呪縛から開放された。
1968年メキシコ・オリンピックで金メダルを獲得したジョージ・エドワード・フォアマンは「金メダリストから無敗で世界王座」というアリ、フレイジャーが歩んだ王道を順調になぞって行った。フレイジャーに挑むまでに37連勝(34KO)を記録したが、強豪との対戦はなく実力は未知数と見られた。
迎えた73年1月、我々はとんでもないモンスターの出現を目撃することになる。フォアマンはフレイジャーの体を文字通り吹っ飛ばし、2回までに計6度のダウンを奪ってKO勝ち。「像をも倒す」と言われた圧倒的パワーの前にローマン(1回KO)、ノートン(2回KO)は何も出来ずに敗れていった。
74年10月キンシャサのリングでアリは誰もが思いつかなかった戦法でフォアマンの弱点を露わにした。ロープ・ア・ロープで守りに徹したアリはフォアマンのスタミナ切れを誘い、見事な8回KO勝ち。意外な脆さを見せたフォアマンは77年にジミー・ヤングに敗れ、10年間の牧師生活に入る。
87年にブヨブヨに肥えた体でカムバック。94年マイケル・モーラーのWBA・IBFヘビー級王座に挑み10回、起死回生の右で王者をマットに沈めた。アリに倒された時と同じ右ストレートを今度は自らが放ったのだった。45歳、史上最年長での戴冠はアリの起こした奇跡に勝るとも劣らないものだ。
81戦76勝(68KO)5敗。
■6位 ジョー・フレイジャー
終生のライバルだったアリとフレイジャーは何から何まで対照的だった。ファイターとボクサー、静と動、明と暗・・・。70年代は彼ら2人にフォアマン、ノートンが絡んだヘビー級の黄金時代と言えるだろう。
フレイジャーの栄光の始まりは代役からだった。1964年東京オリンピックの米国予選でフレイジャーはバスター・マシスに敗れてしまう。ところが代表に選ばれたマシスが手を負傷し、フレイジャーにお鉢が廻ってきたのだ。運を味方にしたフレイジャーは見事金メダルを獲得、翌年8月にプロ転向。
68年3月マシスに借りを返して(11回KO勝ち)ニューヨーク州公認ヘビー級王者となった。70年2月にはジミー・エリスを5回KOに下し、WBAのタイトルを手中にする。
フレイジャーのキャリアの中でもハイライトが71年3月に実現したアリとの「ザ・ファイト」だろう。”スモーキング・ジョー”と呼ばれた機関車のような突進力を全開、リズミカルに上体を揺すり得意の左フックを繰り出していく。何度もアリをぐらつかせ、最終15回には強烈な左フックでダウンを奪い圧勝した。
翌年テリー・ダニエルズ、ロン・スタンダーといった二線級をKOした後、73年1月フォアマンに敗れ王座を失った。74年アリに判定負け。翌年10月にフォアマンを破り王座に復帰したアリに挑戦。死闘を演じたが、精も魂も尽き果て14回TKO負けしている。76年フォアマンに5回KO負けして引退。5年後にカムバック(引き分け)したが、老朽化した機関車にかつての面影はなかった。
37戦32勝(27KO)4敗1分。
■7位 ジャック・ジョンソン
今世紀初頭まで世界ヘビー級の王座は白人のもので、それが彼らの誇りでもあった。そのタイトルを初めて奪った黒人ボクサーがジョンソンだった。しかも人種差別の激しかった時代に白人の美女を妻にするなど、傍若無人な立ち居振舞いが白人達の憎悪を買った。
テキサス州ガルィストンの沖仲仕からボクサーに転じたジョンソンは、無類の強さで長らく”無冠の帝王”と呼ばれていた。王者のトミー・バーンズは挑戦を逃げ回っていたが、オーストラリアまで追いかけてきたジョンソンについに捕まってしまった。
1908年12月シドニーのブッシュカーター湾。ジョンソンは初回から2度のダウンを奪うなどたちまちペースを握り、バーンズを打ちまくった。そして殺戮劇を楽しむかのようにじっくりと攻め、王者を弄んだのだった。14回ダウンを奪った後、ジョンソンがラッシュをかけると警官がたまらずリングに上がり、試合をストップした。
チャンピオンになってからのジョンソンは白人達の迫害に遭って国外に逃亡している。9年にミドル級王者スタンレー・ケッチェルの挑戦を12回逆転KOで撃退。10年には5年前に無敗(18勝15KO2分)で引退していたジェームス・J・ジュエフリーズが白人の期待を担ってカムバック、ジョンソンに挑戦したが15回にKOされた。
タイトルは6度防衛の後、15年ハバナでジェス・ウィラードの挑戦を受け26回KO負けで失った。「アメリカに帰国出来るようにしてやる」と口説かれて八百長を引き受けたという説もあり、リングに横たわりながら、両手でハバナの陽光を遮るジョンソンの姿は物議をかもしている。
113戦79勝(46KO)8敗12分14ND。
■8位 ロッキー・マルシアノ
49戦全勝43KOのパーフェクトレコード。無敗のまま(引き分けも無く)引退した史上唯一の王者がマルシアノである。”ブロックトンの破壊者”の異名をとったマルシアノは頑丈な肉体と破格の強打で「肉を切らせて骨を断つ」戦法で常に打ち勝ってきたが、その代償は大きかった。引退時、既に彼の肉体はボロボロだったのである。
本名ロッコ・フランシス・マルケジアーノ。イタリア系のロッキーは、マサチューセッツ州ブロックトンで貧しい靴屋の息子として生れ育ち、19歳の時陸軍に入隊。そこでボクシングと出会い、4年間ここで腕を磨いた。
プロ転向は1947年、23歳の時だった。順調に勝ち進んだロッキーは51年元チャンピオンのジョー・ルイスと対戦。37連勝(32KO)と破竹の快進撃を続ける新鋭が見事な8回KO勝ちを収め、37歳の老雄に引導を渡した。
翌52年9月、世界ヘビー級王者ジャーシー・ジョー・ウォルコットに挑戦。ロッキーは初回にダウンを奪われ、12回まで王者にポイントをリードされる。そして迎えた13回、挑戦者の強烈な右ストレートが王者の顔面に決まり、劇的な逆転KOで新王者が誕生した。ルイス、チャールズ、ウォルコットと黒人王者の時代が続いたが、15年ぶりに白人の手にベルトが戻って来たのだった。年2回のペースで計6度の防衛に成功している。
56年4月「もう対戦する相手がいなくなった」の名セリフを残し引退した。69年8月アイオワ州ニュートンでセスナ機の墜落事故で死亡。
49戦全勝(43KO)。
■9位 ラリー・ホームズ
超一級品のジャブ、絶妙なタイミングで放たれる右ストレート、完成された技術を持ちながらホームズの評価は芳しいものではなかった。「アリのコピー」というレッテルが、常に付いて廻ったからだ。アリが去った後のヘビー級エア・ポケットの時代で、相手に恵まれなかった不運もあった。
78年レオン・スピンクスがアリを世紀の番狂わせで破り王座に就いてから、ヘビー級のベルトは分裂していった。スピンクスは1位ケン・ノートンとの防衛戦を義務付けられたが、これを無視してアリと再戦。WBCは王座を剥奪すると同時にノートンを王者に認定した。正式な決定戦を行なわずに王座に就いたのは長いヘビー級の歴史の中でもノートンだけである。
78年6月、ペーパーチャンプと呼ばれたノートンにホームズが挑んだ。両者は激しい打合いを展開して小差の判定でホームズがWBC王座に就いた。そして7年3ヶ月に及ぶホームズの時代が続いた。WBCのタイトルは16度、83年にはIBF王者になり同タイトルを3度防衛している。80年にはカムバックしてきたアリを10回KOに破った。
85年スピンクスに敗れタイトルを失い、翌年の再戦でも判定負けし引退。88年カムバックしてタイソンに挑戦したがあっさり4回でKOされた。3年後再びリングに戻ったホームズはしぶとく活動を続け、ホリフィールド(統一王座)、マッコール(WBC)に挑戦し、いずれも判定で敗れている。
72戦66勝(43KO)6敗
■10位 イベンダー・ホリフィールド
逆境に追い込まれた時の不屈の精神力は並大抵のものではなかった。負けた試合がそれを証明している。リディック・ボウに、そしてレノックス・ルイスに敗れた時も主役は勝者ではなく、いつも勇敢な敗者ホリフィールドだった。
84年ロス五輪Lヘビー級決勝で失格負け、不運な銀メダリストとなったホリフィールドは同年11月、早々とプロに転向する。86年ドワイト・ムハマド・カウイを判定に下し、WBA・Jヘビー級王座を獲得。87年リッキー・パーキー(IBFクルーザー級)、88年カルロス・デ・レオン(WBCクルーザー級)をKOして王座統一を果たす。
クルーザー級当時のホリフィールドは別人のようにスリムで頼りなく見えたものだ。そんな彼が科学的トレーニングを駆使して見事なヘビー級の肉体を造り上げていく。88年ヘビー級に転向してからは次々と強豪を撃破。90年10月ジェームズ・ダグラスを3回にKO、統一ヘビー級王座に就いた。
92年リディック・ボウに判定負けして王座を失うも、ガッツを見せて株を上げた。翌年、執念でタイトルを奪回。94年マイケル・モーラーに敗れ、再び無冠に。95年のボウとのラバーマッチでダウンを奪う健闘を見せたが、8回逆転TKO負けした。これで燃え尽きたかに見えたが、96年タイソンを衝撃的なTKOに下し、WBA王座に復活した。
99年WBC王者ルイスとの統一戦は初戦がドロー、再戦で判定負けしてタイトルを失った。今年8月、WBA王座決定戦でジョン・ルイスを破り4度目の王座に就いている。
42戦37勝(25KO)4敗1分。
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