▼ オールタイムランキング 【ライト級】
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■Light weight

▼ライト級ベスト10

 1位   ロベルト・デュラン
 2位   フリオ・セサール・チャベス
 3位   ベニー・レナード
 4位   カルロス・オルチス
 5位   ジョー・ガンス
 6位   トニー・カンゾネリ 
 7位   フラッシュ・エロルデ
 8位   アイク・ウィリアムズ
 9位   ジョー・ブラウン

10位   パーネル・ウィテカー

ライト級時代のデュランのけた外れの強さは言うまでもないだろう。「史上最強のライト級」は不動だ。

近年のグレーテスト、チャベスはSライト級での活躍期間が長かったが、ロサリオ、ラミレスとの対戦が印象深い。
ベニー・レナードは永らく「史上最強」といわれ続けたボクシング・マスターだ。

日本のファンにも大きなインパクトを与えたオルチス、エロルデも忘れてはならないだろう。




■1位 ロベルト・デュラン

1972年にライト級タイトルを手にして以来、89年にミドル級を制して4階級制覇を達成するまで、実に17年間も世界のトップで戦い続けた。49歳の今も現役を続ける”怪物ボクサー”である。

15歳でプロデビューしたデュランは1972年6月、ブキャナンを13R、ボディブローで沈め、WBAライト級の王座に就いた。若き日のデュランは、今のビア樽のような体型からは想像出来ない程スマートで、そして桁外れに強かった。
72年にヘススにノンタイトルで初黒星を喫するが、74年3月に4度目の防衛戦で再戦し、11R逆転KOで雪辱した。後にWBC王者となったヘススと、78年1月に統一戦を戦い、12Rに見事な右ストレートを決めてKO勝ち。このライバル対決は、いずれも激戦の好勝負を繰り広げた。

ヘスス戦後、12度防衛したライト級タイトルを返上してウェルター級に転向。80年6月20日、WBCウェルター級王者レナードに挑戦。大方の予想を覆し、判定勝ちで2階級制覇を達成した。雨のモントリオールでスーパースター同士が激突した、後世に残る名勝負だった。
11月の再戦で「ノー・マス」(もうたくさん)とギブアップして味噌をつけたが、その後も精力的に世界のトップボクサーとグローブを交え続ける。ハグラー、ハーンズには屈したが、83年にデビー・ムーアを劇的な8回TKOで破り、WBA・Jミドル級王座を奪取。さらに89年、WBCミドル級王者アイラン・バークレーに勝って、37歳で4階級を制覇した。

117戦102勝(69KO)15敗。

■2位 フリオ・セサール・チャベス

ボクシング王国メキシコで、史上最高のメキシカンとの評価を享受するスーパースターだ。ハートの強さと類い稀なタフネス、スタミナを武器に、1引き分けを挟み89連勝(77KO)という大記録を打ち立てた。

アマで14勝1敗の成績を残した後、1980年にプロデビュー。故郷のクリアカンやティファナを本拠地に精力的に試合をこなす。タイトルに挑戦するまで43連勝(39KO)を記録するが、それまでは無名のローカルヒーローに過ぎなかった。84年9月のマリオ・マルチネスとのWBCJライト級決定戦を、8R終了TKOで制したチャベスは、3年間で9度の防衛に成功。
87年にはエドウィン・ロサリオに11回TKO勝ちしてWBAライト級王座を獲得する。2度目の防衛戦は88年10月、WBC王者ホセ・ルイス・ラミレスとの統一戦として行なわれた。同じクリアカン出身の親友同士の対決は、クロスファイトとなったが、11R負傷判定でチャベスの勝ちとなった。

翌89年5月、ロジャー・メイウェザーのWBCJウェルター級タイトルに挑み、10回TKO勝ちで3階級を制覇。90年3月にIBF同級王者メルドリック・テーラーを最終ラウンド逆転KOした試合は、劇的な名勝負だった。
93年9月、4階級目を狙ってウィテカーに挑戦するが、分の悪い引き分けに終わった。翌94年1月、13度目の防衛戦でFランドールに初黒星を喫するが、5月の再戦で奪回。96年に5度目の防衛戦でデラホーヤに4回TKO負け。ウェルターに上げての再戦でも8回KOに退いた。2000年7月、チューのWBC・Sライトに挑むも6回TKO負けで引退を表明している。

109戦103勝(83KO)4敗2分。

■3位 ベニー・レナード

史上最強のライトと言われて久しい、ベンジャミン・レイナーことベニー・レナードは、ライト級史上最も輝かしいと言われる1910年から20年にかけて活躍したクレバーなボクサーだった。科学的に計算され尽くした万能型のボクシングスタイルで、無敵を誇った。

ユダヤ系移民の子として生まれたレナードは、アイリッシュやイタリー系の子供たちのいじめから身を守るため、ボクシングを習い始める。デビュー2年間で3度のKO負けを喫したレナードは、「自分は体も細いし、パンチも強くない。だから、もっとスピードをつけなければ」と敗因を分析し、研究を怠らなかった。尊敬する強豪ウィリー・ルイスを訪ねて教えを請うなど、研究熱心だったことでも知られる。

1917年にフレディ・ウェルシュ9回TKOに下して世界ライト級王者になった。25年1月、7度防衛の記録を残して、不敗のまま引退。ここまではカッコよかったが、31年にウェルター級でカムバックを試みる。9年前の22年、ジャック・ブリットンのウェルター級王座に挑み、手痛い反則負けを喫しているレナードにとって2階級制覇は悲願でもあった。しかし、36歳の老雄に往年の面影はなく、32年10月に行なわれたウェルター級タイトルマッチでジミー・マクラーニンに6回KO負け。稀代の天才ボクサーもついにリングを去った。

85勝(67KO)5敗1分121ND。

■4位 カルロス・オルチス

昭和30年代にはペレス、サドラー、ジョフレなど史上に残る強豪が次々と来日した。そんな中で日本のファンに、一際強烈な印象を与えたのが、オルチスだった。62年に来日したオルチスは、ノンタイトルで高山一夫に大差の判定勝ち。1ヵ月後の12月3日に世界王座を賭けて、サウスポーのファイター小坂照男の挑戦を受け、5回KOで一蹴。段違いの強さに日本のファンは呆然とするだけだった。

プエルトリコ生まれのオルチスは、幼い頃ニューヨークに移住。12歳からボクシングを始め、1955年、18歳でプロにデビューした。プロ4年目の59年6月、ケニー・レーンを2回KOに下して、世界Jウェルター級王座に就いた。バトリング・トーレス、デュリオ・ロイを破り、2度防衛した後、ロイとの再戦で判定負けしてタイトルを失う。

ライト級に転向したオルチスは62年4月、ジョー・ブラウンを判定で破り、2階級を制覇。小坂、エロルデをKOするなど4度防衛した。65年、イスマエル・ラグナにタイトルを奪われるが、再戦で奪回。5度防衛(通算9度)した後、68年6月にカルロス・テオ・クルスに判定負けしてタイトルを失った。72年、ケン・ブキャナンに6回KO負けして引退。
フラッシュ・エロルデ、イスマエル・ラグナ、シュガー・ラモス、ニコリノ・ローチェなど数多くの名選手と戦い、いずれも名勝負を演じている。

70戦61勝(30KO)7敗1分1NC。

■5位 ジョー・ガンス

黒人ボクサー不遇の時代に、偉大なる足跡を残した名ボクサーである。前世紀末から今世紀初頭にかけて18年間の長きに渡り活躍した。故ナット・フライシャーが、ライト級のNO.1に推した、伝説の強豪がこのガンスだ。

ジョセフ・ゲインズことガンスは17歳でデビューし、以後5年間は無敗を誇った。1900年、25歳の時にフランク・アーンの持つ世界ライト級タイトルに初挑戦。白人ボクサーが主流の時代背景を考えると、早い挑戦と言えるだろう。この時は惜しくも負傷TKOで敗れるが、2年後の再戦では1R、KOで雪辱して王座に就く。1904年11月にタイトルを返上するまで、9度の防衛に成功している。
この間にもウェルター級進出を計ったが、1903年、サム・ラングフォードに判定負け、翌年には元王者のジョー・ウォルコットと引き分けで挫折した。1906年、バトリング・ネルソンと激戦を繰り広げた末、42R反則勝ちで王座に返り咲いている。この試合は、序盤に2度ダウンを奪ったガンスが、ネルソンの反撃に遭い、スタミナを消耗。42R、ネルソンのボディブローでガンスは倒れてしまう。しかし、これが反則打となってラッキーな勝ち星を拾った。

この頃から、肺結核に蝕まれていたガンスは2年後の再戦で17回KO負け。2ヵ月後のラバーマッチにも21回KOで敗れた。翌年3月に試合を行なった後、病に倒れ、35歳の若さで永遠の眠りに就いた。

120勝(55KO)8敗10分18ND。

■6位 トニー・カンゾネリ

1920年から30年代にかけて3階級を制覇するなど、突貫ファイトで人気を集めたカンゾネリは、イタリア人たちの最高のアイドルでもあった。

生れ故郷のルイジアナからニューヨークのブルックリンに一家で移住したカンゾネリは、靴磨きをしながらアマチュアのリングに上がっていた。16歳の時、ニューヨーク州のチャンピオンになった後、1925年にプロデビュー。27年にバド・テイラーとのNBAバンタム級王座決定戦に臨むが、惜しくも引き分け。再戦でも判定負けで王座を逸している。
4ヵ月後の27年10月、ジョニー・ダンディを破り、空位の世界フェザー級王座を獲得。28年9月にアンドレ・ルーティスに判定負けで王座を失うと、ライト級に転向する。

29年、サミー・マンデルへの挑戦は判定で敗れたが、翌年11月にアル・シンガーを初回KOで破り、2つ目の王座を獲得した。31年4月にはJウェルター級王者ジャック・キッド・バーグと両者のタイトルを賭けたダブル・タイトル戦を行ない、見事判定勝ち。史上2人目の3階級制覇を達成した。

2つのタイトルを同時に保持しながら防衛をこなしたが、32年にJウェルター級のタイトルをジャディックに奪われ、再戦でも敗れた。33年、バトリング・ショーに勝って、Jウェルター級のタイトルを奪回。再び2つのタイトルを手にしたが、33年6月、後のトリプルクラウン、バニー・ロスに判定負け。ライト級とJウェルター級の、2つの王座をロスに譲った。9月の再戦でも苦杯を喫したが、35年にはルー・アンバースを破り、ライト級王座に返り咲いている。

138勝(44KO)23敗9分4ND。

■7位 フラッシュ・エロルデ

日本のリングで、数多くの名勝負を繰り広げたエロルデは、大の親日家としても知られる。堀口宏、金子繁治、秋山政司らの強豪とグローブを交え、実力をつけていった。東洋が生んだ名王者だ。

フィリピンのセブ島で生れたエロルデは1951年、16歳でプロのリングに上がっている。53年から54年にかけて、日本のリングで活躍した。56年にサドラーの持つフェザー級タイトルに挑戦するが、名王者の強打の前に13回KOで敗れた。その後、揺るぎのないトップコンデンターの地位を築いたエロルデは、60年3月、ハロルド・ゴメスのJライト級王座に挑戦。7回KO勝ちで、見事タイトルを獲得した。

日本の小坂照男とは東洋、世界のタイトルを賭けて5度対戦(4勝3KO1敗)し、いずれも熱戦を展開した。両者は64年7月、エロルデ7度目の防衛戦で4度目の対決。小坂に終始圧倒されていたエロルデが、12Rに逆転のTKO勝ちを収めた。しかし、レフェリーの処置をめぐって会場が混乱する騒動が起きる。エロルデはリングから降りずに興奮するファンを制し、翌日には再戦に応じた。エロルデの親日家ぶりを窺わせるエピソードだ。65年6月、ケソン市で行なわれた再戦では、エロルデが15回KO勝ちしている。

64年にはオルチスのライト級王座に挑戦したが、14回KO負け。66年にも14回KOで返り討ちされている。Jライト級のタイトルは67年6月、沼田義明に敗れるまで10度防衛した。リングの内外で紳士的だったエロルデは、誰からも愛された偉大なチャンピオンだった。85年1月に49歳で永眠した。

115戦88勝(34KO)25敗2分。

■8位 アイク・ウィリアムズ

アイクことイサイアス・ウィリアムズは、史上最も破壊的な右強打を誇る技巧派ボクサーだった。黒い鋼のような肉体を持ち、1940年から50年代にかけて活躍した。

1940年、16歳でデビューしたウィリアムズは、2年目までは勝ったり負けたりを繰り返すが、その後、連勝を続けて頭角を現す。メイオン・ペドロ、ボブ・モンゴメリーに連敗して連勝はストップするが、その後も強豪との対戦で力をつけた。45年4月、ファン・スリータを2RにKOして、NBAJライト級タイトルを獲得。この後、マネージャーとトラブルを起こし、マネージャー組合と対立。試合を干されかねないピンチに陥ったが、組合との間に入ったフランク・パレーモがマネージャーとなり、事なきを得た。

2度防衛した後、47年8月、ニューヨーク州公認王者のボブ・モンゴメリーと王座統一戦を行なった。両者は3年前にも対戦し、その時はモンゴメリーが12回KO勝ちを収めている。試合は一進一退の打ち合いとなり、6Rに3度のダウンを奪ったウィリアムズがレフェリーストップのTKO勝ち。因縁のライバルに見事雪辱して王座を統一した。
このタイトルは5度守った後、51年5月、14回TKO負けでジミー・カーターに奪われた。その後も4年間、リングに上がり続けたが、さすがに負けが込んで55年に引退した。78年に名誉の殿堂入りを果している。

153戦124勝(60KO)24敗5分。

■9位 ジョー・ブラウン

いぶし銀の技巧で知られるジョー・ブラウンは、1950年代のライト級で一時代を築いた名ボクサーである。1946年から70年まで24年もの長きに渡り戦い続けた、恐ろしく息の長い選手だった。

ルイジアナ州ニューオリンズで貧しい大工の子として生まれたブラウンは、アマチュアで全米軍のライト級王者となり、一躍注目を浴びることになる。1943年に地元ニューオリンズの後援者たちの期待を担ってプロデビュー。だが、数年間は勝ったり負けたりで、なかなか芽が出なかった。22歳の頃から、全米各地を転戦して腕を磨き、才能も開花し始めた。加えてウィリー・ペップの育ての親である名ハンドラー、ルウ・ビスクーとの出会いも大きかった。

56年8月、ウォーレス・バッド・スミスに挑戦したブラウンは右手小指を骨折しながらも最後まで戦い抜き、判定勝ちを収めた。デビュー11年目、30歳での戴冠は典型的な大器晩成と言えるだろう。このタイトルは62年4月までの5年8ヶ月の長期に渡り、11度守り通している。61年には「リング」誌の年間最優秀に選ばれるなど、名王者として活躍したが、62年4月、カルロス・オルチスに判定で敗れ、タイトルを手放した。その後もリングに上がり続け、70年に44歳の誕生日を目前にして引退した。

104勝(48KO)42敗12分2NC。

■10位 パーネル・ウィテカー

ボクシングという競技は、ルールの改正や技術の向上によって、絶えず進化を遂げている。ウィテカーのディフェンシブで「負けない」ボクシングスタイルは、技術的進歩の到達点の一つと評価してもいいのかもしれない。ただし、試合そのものはつまらなく、プロとして受け入れられるかどうかは疑問符がつくだろう。

84年、ロサンゼルス五輪ライト級で金メダルを獲得したウィテカーは、その秋には早くもプロに転向。88年にはホセ・ルイス・ラミレスの持つWBCライト級タイトルに挑戦するが、判定で初の黒星を喫する。この試合はラミレスのホームリングともいえるパリで行なわれ、ウィテカーには気の毒な判定だったと言われる。翌89年、グレグ・ホーゲンを大差の判定に下してIBFのタイトルを手にする。半年後にラミレスと再戦し、今度は文句のない判定勝ちでIBFとWBCのベルトを統一した。

90年にはWBA王者フアン・ナサリオを初回ワンパンチでKO、デュラン以来のライト級統一王者となった。92年にはラファエル・ピネダを破りIBF・Jウェルター級王座、93年には巧者バディ・マクガートを攻略してウェルター級王座を獲得し、3冠王に。
初防衛戦ではチャベスに分のいい引き分け。多くのファンはウィテカーの勝利を支持し、チャベスの不敗神話を事実上、崩壊させた。

95年にはフリオ・セサール・バスケスに勝ってWBA・Jミドル級タイトルも手に入れ、4階級を制覇。Jミドル級は返上し、ウェルター級の防衛に専念したが、97年デラホーヤに敗れ、タイトルを手放した。99年、トリニダードのIBFタイトルに挑んだが、判定で敗れている。

45戦40勝17KO)3敗1分1NC。



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