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Light Heavy weight

▼Lヘビー級ベスト10

 1位   アーチー・ムーア
 2位   ボブ・フォスター
 3位   マイケル・スピンクス
 4位   ロイ・ジョーンズ・ジュニア
 5位   サム・ラングフォード
 6位   ジーン・タニー
 7位   エザード・チャールズ
 8位   ジョルジュ・カルパンチェ
 9位   ホセ・トーレス
10位   トミー・ローラン


Lヘビー級はヘビーとミドルの人気クラスに挟まれ、地味な印象があるが、いぶし銀ともいえる渋いボクサーが多い。

古くは“欄の男”カルパンチェや”フィラデルフィアの幽霊”と呼ばれたローラン、ジョー・ルイスを相手にに大健闘を演じたビリー・コンら技巧派王者が多いのも目につく。

怪物ボクサー・ムーアや左フックの名手フォスターら、ヘビー級制覇の夢こそ断たれたが、このクラスでの無敵ぶりは出色だった。



■1位 アーチー・ムーア

初めてタイトルを手にしたのが39歳。それだけでも驚くが、その後10年間に9度防衛、実に49歳(!)まで王座に君臨したのだから恐れ入る。27年間に及ぶリング生活では129のKOをマークした。これは記録に残る限りの史上最多KO数である。アルマジロのようにガードを固め、相手のスキをついて放つ右強打は破壊力抜群だった。ニックネームは”不死身のマングース”。

1936年、22歳でデビューしたムーアは、自慢の強打で次々とKOの山を築いていった。しかし人種差別がまだまだ激しかった時代背景もあって、なかなかチャンスは訪れなかった。ようやくプロ17年目にして52年12月Lヘビー級王者ジョーイ・マキシムに挑戦。15回判定勝ちで39歳の新チャンピオンが誕生した。
55年にはより大きな栄光を求めてヘビー級王者ロッキー・マルシアノに挑戦。2回、右アッパーでダウンを奪う健闘を見せたが、9回に逆転KO負けした。翌年にはマルシアノが返上したタイトルをフロイド・パターソンと争ったが、5回KO負け。怪物ボクサーをもってしてもヘビー級の壁は厚かった。
60年にNBAは14ヶ月も防衛戦を行なわなかったことを理由にムーアの王座を剥奪。62年にはニューヨーク州も王座を取り上げ、老雄ムーアは戦うことなくチャンピオンの肩書きを失った。

214戦183勝(129KO)21敗9分1NC。

■2位 ボブ・フォスター

一打必倒のレフトフックを武器に1960年代後半から70年代にかけてLヘビー級を席巻した名王者である。190センチの長身ハードヒッターは14度防衛のクラスレコードを樹立した。

61年プロデビューしたフォスターはヘビー級進出を計ったが、アーニー・テレルに7回KO負け、ゾラ・フォーリーに10回判定負けで挫折。一時は引退も噂された万年コンデンターだった。
ターゲットをLヘビー級に絞ってからは好調で68年5月、MSGでタフで鳴るアフリカの英雄、ディック・タイガーに挑戦。4回、左フック一発で不倒の男に初のテンカウントを聞かせた。衝撃的な王座奪取を果たしたフォスターはフランク・デポーラ、アンディ・ケンドール、ロジャー・ラウス、マーク・テスマンといった一流処を次々とマットに沈めた。

余勢を駆って70年11月ヘビー級王者ジョー・フレイジャーに挑むも、2回KO負けで夢は打ち砕かれた。72年には北米ヘビー級戦でアリに7度のダウンを奪われ8回KO負けし、ヘビー級を断念。
アリ戦後のフォスターは衰えが見え始め、74年ホルヘ・アウマダとの14度目の防衛戦後に王座返上、引退する。翌年カムバックするが、かつての面影はもうなかった。

65戦56勝(46KO)8敗1分。

■3位 マイケル・スピンクス

モントリオール・オリンピックで兄弟揃って金メダルを獲得したレオンとマイケルは、プロでも兄弟チャンピオンとなった。しかもヘビー級での兄弟チャンピオンは、史上初にして唯一の例である。

77年プロ入りしたスピンクスは順調に勝ち進むが、翌年10ヶ月のブランクを作り停滞してしまう。78年2月、兄のレオンが”世紀の番狂わせ”でアリを破り、その世話をするのに忙しかった為だ。レオンが王座転落後に復帰してからは、自らのボクシング生活に専念。デビッド・コティ、ヤキー・ロペス、マービン・ジョンソンなど強豪を次々と撃破して81年3月エディ・ムスタファに判定勝ち。WBA・Lヘビー級王座を獲得した。

83年にはWBC王者ドワイト・カウイを判定に下して王座を統一。Lヘビー級のタイトルを10度守った後、85年9月ラリー・ホームズの持つIBFヘビー級タイトルに挑戦。判定勝ちでホームズの49連勝を阻止すると共にLヘビー級王者として初のヘビー級制覇者となった。
当時はペイテレビ局HBOが、WBC王者タイソンを中心とした「ヘビー級王座統一トーナメント」を企画していたが、利権を巡って揉めた挙句スピンクスはトーナメントを離脱、IBFも王座を剥奪してしまう。88年6月統一王者タイソンに挑んだが、ブランクの影響もあって初回僅か90秒でKOされている。

32戦31勝(21KO)1敗。

■4位 ロイ・ジョーンズ・ジュニア

際立った強さを誇示しながらも、最近のジョーンズには満たされない思いに対する苛立ちが感じられる。強過ぎるが故に自らの能力を十分に引き出してくれる相手に恵まれない。ビッグファイトを求め、ヘビー級挑戦も噂されている。ジョーンズが本当に満たされる日はやってくるのだろうか。

ジョーンズはソウル五輪で悲劇のヒーローとなっている。地元の朴に不当な判定負けで銀メダル。翌年父ロイ・シニアをマネージャー兼トレーナーとしてプロデビュー。17連続KOを記録するが、この頃父子に不協和音が生じ、訣別している。
93年5月のIBFミドル級王座決定戦ではバーナード・ホプキンスに意外な苦戦。判定は3者とも116−112でジョーンズだったが、点差以上に接近した内容だった。翌年11月ジェームス・トニーに勝ってIBF・Sミドル級王座を獲得。96年11月にはマイク・マッカラムを判定に下し、WBCLヘビー級も奪取して3階級を制覇した。

初防衛戦ではモンテル・グリフィンに失格負けしたが、再戦で初回KO勝ち。あっさりとタイトルを取り戻した。その後、ルイス・デルバレ(WBA)、レジー・ジョンソン(IBF)に勝って3団体の王座を統一している。

43戦42勝(34KO)1敗。

■5位 サム・ラングフォード

無冠の帝王として伝説的な存在なのがサム・ラングフォードである。今世紀初頭、この悲運の拳雄が活躍した時代は政治力、人種差別などの障害によって、黒人ボクサーにはなかなかチャンスが巡ってこなかった。

記録に残る最初の試合は1902年の1月、ジャック・マクヴィッカーに3R判定勝ちと記されている。身長は171センチだったが、ライト級からヘビー級までのあらゆる強豪と戦った。
ジョー・ガンス、ジョー・ウォルコット、デキシー・キッド、スタンレー・ケッチェル、フィラデルフィア・ジャック・オブライエンといった伝説の強豪をはじめ、ジョー・ジャネット、ジャック・ブラックバーン、サム・マクベイ、ジム・フリンなどのヘビー級の第一線とも五分以上の星を残している。同じく無冠の帝王と呼ばれたハリー・ウィルスには晩年こそ負けが込んだが、全盛期にはKOに下すなど、実力的にはラングフォードの方が高く評価されている。

1906年、当時ヘビー級で無敵を誇ったジャック・ジョンソンと対戦。対格差が大きかったが、大善戦し小差の判定で敗れた。後に王者となり、史上最強とまで賞されたジョンソンだが、ラングフォードの挑戦だけは受けなかった。

137勝23敗31分59ND2NC。

■6位 ジーン・タニー

1920年代の英雄ジャック・デンプシーに勝った男として有名なタニーだが、元々はLヘビー級の選手だった。水兵上がりのタニーは”戦う海兵”の異名をとり、鉄壁な防御と巧みなアウトボクシングが高く評価されている。

17歳でプロにデビューしたタニーは無敗で勝ち進むが、おりからの大戦で米軍海兵隊として従軍した。本職のボクシングでも活動し続けて21歳の時全米Lヘビー級王者となった。後にヘビー級に転向、かつてデンプシーに善戦したトミー・ギボンスをKOするなど快進撃が続いた。

26年9月デンプシーに挑んだタニーは不利の予想を覆し、判定勝ちで世界ヘビー級王座に就いた。翌年に行なわれたリターンマッチで有名な”ロングカウント事件”が起きる。7回デンプシーの左フックでタニーは痛烈なダウンを喫した。だがデンプシーはニュートラルコーナーに戻らなかった為にレフェリーのカウントが遅れ、タニーが立ち上がった時実際には14秒以上経過していたと言われている。8回にダウンを奪い返し、元気を取り戻したタニーは判定勝ちを収め初防衛に成功した。
28年トム・ヒーニーにTKO勝ちして2度目の防衛に成功した後、王座を返上し引退している。

61勝(46KO)1敗1分19ND1NC。

■7位 エザード・チャールズ

ヘビー級王者としては体格もなく地味な存在だったが、その確かな技巧はボクシング通を大いに唸らせた。若い頃はLヘビー級で活躍、全盛期もその頃だったと言われている。

アマチュアで全米ミドル級王者になるなど、42戦全勝の快記録を引っ下げて40年にプロ転向。キャリアの途中第二次大戦の為3年間のブランクを作るが、46年にカムバック。
49年6月に空位のヘビー級王座をジャーシー・ジュー・ウォルコットと争い判定勝ちで王者となった。翌年には再起してきた前王者のジョー・ルイスを判定に破り初防衛に成功した。5度防衛の後、51年ウォルコットとの3度目の対決で7回KO負けを喫して王座を失った。翌年の再戦でも判定負け。
54年にはロッキー・マルシアノに挑戦したが判定で敗れ、3ヵ月後の再戦では8回にKOされている。その後もリングに上がり続けたが、負けが込んで59年、38歳の時に引退した。

48年サム・バロウディをKO死に至らしめたことが心の中で尾を引いたとも言われ、ヘビー級時代は今ひとつ闘争心に欠けるきらいがあった。筋萎縮症の為53歳で亡くなっている。

122戦96勝(58KO)25敗1分。

■8位 ジョルジュ・カルパンチェ

アメリカで不人気だったLヘビー級だが、1910年代の後半から20年代にかけてヨーロッパで爆発的な人気を誇ったLヘビー級選手がいた。”蘭の男”なる優雅なニックネームを頂戴したジョルジュ・カルパンチェがその人である。

フランスはレンスという田舎町で生まれたカルパンチェは、サーカスの見習いをしている時にスカウトされ、1908年に14歳という若さでプロデビュー。フライ級からヘビー級まで相手を選ばず、どんな強豪とも戦った。ハンサムな顔立ちと華麗なテクニックでたちまちパリの人気者になる。
17歳でフランス、ヨーロッパのウェルター級、18歳でヨーロッパのミドル級、19歳でヨーロッパのLヘビー級、さらにヘビー級タイトルを手にしている。ミドル級時代に英国の有名なヘビー級ボンバーディア・ウェルズを初回KOに下し、英国の目の肥えたファンを魅了した。

第一次大戦の為21歳から24歳までの貴重な時間を奪われ、15年から18年までの4年間公式なリングに上がっていない。20年にバトリング・レビンスキーに4回KO勝ちで世界Lヘビー級王座へ。21年にはジャック・デンプシーの世界ヘビー級王座に挑戦したが4回KO負け。テックス・リカードがプロモートした世紀の大決戦は大変な人気を呼び、史上初の100万ドル興行となっている。

109戦88勝(56KO)14敗6分1NC。

■9位 ホセ・トーレス

現在、評論家として活躍しているトーレスはクレバーな強打者として高い評価を得る実力派チャンピオンである。カス・ダマトの門下生としても知られる。

トーレスは1956年ヘルシンキ・オリンピック、ミドル級銀メダリストからプロに転向。58年のデビュー以来、抜群の素質と持ち前の強打で無敗の快進撃を続けた。63年にフローレンチノ・フェルナンデスに5回KO負けを喫して連勝は26でストップ。再び勝ち続けるが、トーレスにとって不運だったのは若い時に試合に恵まれなかったことだろう。これは当時ニューヨークのボクシング界を牛耳っていたIBCとダマトが敵対関係にあった為だ。

トーレスがようやく世界の頂点に辿り着いたのは65年3月、28歳の時だった。ウィリー・パストラーノに9回KO勝ちしたトーレスは66年に3度の防衛に成功したが、12月のディック・タイガー戦で判定負けしてタイトルを失った。翌年の再戦でも判定で敗れた。
68年と69年に1試合ずつリングに上がり、共にKO勝ちを記録して引退した。王座在位は1年半と短命に終わったが、王座に就いた頃は既にピークを過ぎていたと言われている。

45戦41勝(29KO)3敗1分。

■10位 トミー・ローラン

故ナット・フライシャーがオールタイムの4位に推す技巧派ボクサー。対戦相手はローランの体に触れることが出来ず、手の届かない距離から”幻の左”がすうっと伸びてくる。そんな戦い振りから”フィラデルフィアの幽霊”とも呼ばれた。

生涯でKO勝ちが17しかないローランだが、デビュー当時はKOアーティストとして売り出した。最初の24戦でKOが11。しかし、その後の148戦では僅か7の記録しかない。これは右の拳を痛めた為だった。以後のローランは左腕一本でアウト・ボックスするスタイルを貫いた。
「ローランの戦績はまるでボクサー名鑑を見るようだ」と言われるほど、数多くの強豪と対戦している。ハリー・グレブ、ジーン・タニー、ジョルジュ・カルパンチェ、ピート・ラッツォー、ジム・ブラドック、ミッキー・ウォーカー、マックス・ベア、プリモ・カルネラ、ジャック・シャーキー、アル・マッコイなど14人の世界王者と対戦した。

27年にマイク・マクティガに判定勝ちしLヘビー級王座へ。5度防衛した後、タイトルを返上して後のヘビー級王者ジャック・シャーキーと対戦したが3回KO負け。34年にはプリモ・カルネラのヘビー級王座に挑戦するも判定負けしている。

172戦96勝(18KO)23敗8分45ND。




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