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Welter weight

▼ウェルター級ベスト10

 1位   シュガー・レイ・レナード
 2位   ヘンリー・アームストロング
 3位   ホセ・ナポレス
 4位   トーマス・ハーンズ
 5位   ジョー・ウォルコット
 6位   エミール・グリフィス 
 7位   キッド・ギャビラン
 8位   フェリックス・トリニダード
 9位   オスカー・デラホーヤ
10位   バーニー・ロス


ウェルター級は80年代のレナード、ハーンズ、90年代のデラホーヤ、トリニダードと近年はミドル級を凌ぐ花形クラスとなっている。

歴代でも、3階級同時制覇の「鉄人」アームストロング、“ボロ・パンチ”で人気を集めたギャビラン、MSGの花形選手だったグリフィス、70年代のグレーテスト・ナポレス、怪物伝説を残す“オリジナル”ジョー・ウォルコットなど数多くの名王者を輩出している伝統のあるクラスだ。


現役のデラホーヤ、トリニダードは今後の実績次第では更に上位に食い込む可能性を秘めている。



■1位 シュガー・レイ・レナード

それまでヘビー級中心だった米国ボクシング界に、中量級の魅力を知らしめた最大の功労者と言っていいだろう。80年代中量級にはきら星の如くスターが出現したが、常にその中心にあったのがレナードだった。

モントリオール・オリンピック、Lウェルター級で金メダルを獲得したレナードは、翌77年にアンジェロ・ダンディーをトレーナーとして迎え、華々しくデビューした。当初はパワー不足も指摘されたが、戦うごとに逞しさを身に付けていった。

79年11月、ウィルフレド・ベニテスを最終回、劇的なTKOで破り、WBCウェルター級王座に就いた。
2度目の防衛戦でデュランに敗れた後、リターンマッチで奪回。81年6月、WBA・Jミドル級王者・アユブ・カルレを9RTKOで下し、2階級制覇(返上)。同年9月にはWBA王者トーマス・ハーンズとのウェルター級タイトル統一戦を迎える。この「世紀の一戦」は、両者の意地と意地がぶつかり合うスリリングな展開となり、ポイントでリードされていたレナードが14回に劇的な逆転TKO勝ち。スーパースターの地位を確立したレナードだったが、その後は網膜はく離のため、引退してはカムバックを繰り返す。

87年4月には難攻不落のミドル級として君臨するハグラーに不利の予想を覆して判定勝ち、3階級を制覇。ビッグマッチを求めてリングに上がり続けたレナードは、翌年11月ドニー・ラロンデに9回逆転TKOで勝って、WBCのLヘビーとSミドルのタイトルを奪取、5階級を制覇した。Sミドル級のタイトルはハーンズと引き分け、デュランに判定勝ちと、かつての好敵手を相手に2度防衛し、一旦は引退。
91年にカムバックしてテリー・ノリスに完敗した。97年にはカマチョにも5RでTKOされた。

40戦36勝(25KO)3敗1分。

■2位 ヘンリー・アームストロング

“鉄人ハンク”と謳われたアームストロングは、3階級を制覇、それもフェザー、ライト、ウェルターのタイトルを同時に保有するという偉業を達成した史上唯一のボクサーである。”ノンストップモーション”と形容された、飽くことのない驚異的な連打戦法で1930年代のボクシングシーンを席巻した。

1931年にデビューしたグリーンボーイ時代は、メロディ・ジャクソンの名でリングに上がっていた。デビュー戦でKO負けするなど、名前とともに成績の方もあまりパッとしなかった。カリフォルニアに腰を落ち着け、リングネームも他人から拝借したヘンリー・アームストロングに変えてから徐々に才能も開花していく。

37年10月、ぺティ・サロンを6回KOに下し、世界フェザー級王座に就いた。フェザー級で段違いの強さを誇示したアームストロングは翌年、ライト級を飛び越し一気にウェルター級のタイトルに挑戦した。38年5月、名王者バーニー・ロスを判定で破り、2階級を制覇している。3ヵ月後には対戦を渋ったライト級王者ルウ・アンバースを説得して3冠に挑戦。判定勝ちで3階級同時制覇という離れ業を演じた。
40年には4冠を目指し、ミドル級王者ガルシャに挑戦したが、惜しくも引き分け。ウェルター級のタイトルは19度守っている

152勝(100KO)21敗8分。

■3位 ホセ・ナポレス

強すぎるが故の悲運。無冠の帝王と呼ばれ、永らくトップコンデンターの地位にいながら、時のチャンピオン達はことごとくナポレスを敬遠した。苦節10年、29歳という遅咲きチャンピオンはピークを過ぎて尚、一時代を築いている。

1958年サンディエゴ・ゴールデン・グローブで優勝したナポレスは、38戦全勝のアマチュアレコードを残しプロ入り。61年キューバ革命でプロスポーツが禁止されると、身重の妻を残し、メキシコへと亡命した。
ナポレスのリングにかける執念は凄まじく、メキメキと頭角を現していく。フェザー級でスタートしたナポレスは、ライト、Jウェルターとクラスを替えて王者を追い求めた。だが、”無冠の帝王”と呼ばれて久しいナポレスにチャンスはなかなか訪れなかった。ようやく対戦に応じたのは1階級上のウェルター級チャンピオン、カーチス・コークスだった。

69年4月、コークスに挑戦したナポレスは13回TKO勝ちで王座を射止めた。4度目の防衛戦で、古傷のアクシデントによりビリー・バッカスに敗れたが、再戦では4回KOであっさりとベルトを奪回した。
74年にはミドル級王者モンソンに挑んだが、7回TKO負け。ナポレスの衰えがクローズアップされた。75年12月35歳(自称)で、ジョン・ストレーシーに敗れるまでウェルター級タイトルを通算13度防衛した。

84戦77勝(54KO)7敗。

■4位 トーマス・ハーンズ

80年代のボクシングシーンを語るとき、忘れてはならない最もセンセーショナルな存在だったのがハーンズだろう。左手をだらりと下げた構えからフリッカージャブを放つというデトロイトスタイルはハーンズの出現によって、すっかりポピュラーなものとなった。

アマチュアでのハーンズは非力なアウトボクサーだった。155勝8敗のアマレコードの内、KO勝ちは僅か12しかなかった。77年にプロ転向後は”ヒットマンスタイル”で打撃開眼、いきなり17連続KOの快進撃を演じる。元世界王者のブルース・カリー、センサク・ムアンスリン、アンヘル・エスパダ、エディ・ガソをあっさりとKOして80年8月、最強と言われたWBA王者ピピノ・クエバスに挑戦。2R、右ストレート一発でクエバスを沈めたシーンは大きな衝撃を与えた。

このタイトルは3度防衛した後、レナードとの統一戦に敗れて手放すが、82年12月、ベニテスを攻略してWBC・Jミドルのタイトルを手に入れる。2度目の防衛戦ではデュランに戦慄的な2回KO勝ちを収めている。
85年4月、3階級制覇を賭けて、ミドル級王者ハグラーに挑戦。歴史に残る激しい打ち合いを展開した末に3回TKOで敗れた。87年3月、デニス・アンドリュースに勝ってWBC・Lヘビータイトル獲得。10月にはファン・ドミンゴ・ロルダンをKO、WBCミドル級も手にして4階級制覇を達成した。
88年にはWBOのSミドルも制して、レナードに次ぐ5冠王になっている。

65戦59勝(46KO)5敗1分。

■5位 ジョー・ウォルコット

ジョー・ウォルコットと言えばヘビー級のジャーシー・ジョーの名が真っ先に思い浮かぶが、”バルバドス島の悪魔”と畏れられたウェルター級のウォルコットの方が元祖になる。故ナット・フライシャー、リング誌が共に史上最強にランクする伝説のボクサーでもある。

ウォルコットは身長156センチの小柄な黒人ボクサーだった。身長の割にリーチは長く、直立したまま膝の下まで手が届いたとも言われる。この小柄な黒人ボクサーは時にはヘビー級の相手とも戦い、ほとんど負けることがなかったという。
全盛期の1900年には、ヘビー級王者ジャック・ジョンソンをKOしたこともある強豪のジョー・チョインスキーに7回KO勝ちを収めている。

1897年にライト級王座に挑んだが、キッド・レービンに判定負け。しかし、これは「ウォルコットがKOする以外はレービンの勝ち」というひどい契約の為で、実際には打ち勝っていた。1901年にルーベ・ファーンズに5回KO勝ちしてウェルター級王座に就いた。
ウェルター級では2人目の黒人チャンピオンだった。翌年にはピストルの暴発事故で右手を損傷、2度と強く握れないハンディを負うが、その後も8年間戦い続けている。

74勝(44KO)30敗22分8NC。

■6位 エミール・グリフィス

映画「ザ・ハリケーン」ではすっかり引き立て役に甘んじたが、1960年代MSGの主役だったのがエミール・グリフィスである。エキサイティングなボクシングスタイルと鍛えぬかれた筋肉美、陽気な人柄が人気を集めた。

グリフィスについて語る時、MSGで起きた悲劇が必ずと言っていい程ついてまわる。61年、パレットに13回KO勝ちでウェルター級王座を獲得したグリフィスだが、5ヵ月後の再戦で判定負けしてタイトルを失った。両者は1962年3月、3度びグローブを交える。
グリフィスは6Rにダウンを奪われるが、反撃に出てパレットを圧倒。12Rにダース単位のパンチを浴びせると王者はコーナーで意識を失い、そのまま病院に収容された。10日後にパレットは25年の生涯を終えた。世界チャンピオンの死は「ボクシング禁止論」まで飛び出す、社会問題に発展した。

グリフィスの精神的ショックは計り知れぬものがあった。罪業感にさいなまれ、眠れぬ夜が続いたという。グリフィスはこのピンチを不屈の精神で乗り越え、好敵手ルイス・ロドリゲスとの連戦(1勝1敗)を経て、66年ディック・タイガーを判定に下し、ミドル級王座も手にして2階級を制覇。ニノ・ベンベヌチとも名勝負(1勝2敗)を残している。
その後もナポレス、モンソン(2度)、ダッゲらのタイトルに挑戦したが、いずれも敗退した。

112戦85勝(23KO)24敗2分1NC。

■7位 キッド・ギャビラン

1940年代から50年代にかけて、米国では第1次テレビボクシングのブームが巻き起こった。カミソリ会社がスポンサーの「ジレット・ボクシング」が人気を集め、その中心にいたのが”キューバの鷹”こと キッド・ギャビランだった。
143戦のキャリアで1度もKO負けがなかったタフネスを誇るギャビランは精力的に試合をこなし、エキサイティングなファイトで人気者になった。腕を後方に一回転させて放つアッパーは”ボロ・パンチ”として有名だ。

1943年、17歳でデビューしたギャビランは6年後の49年に世界初挑戦。王者は、かのシュガー・レイ・ロビンソンで、この時は判定負けに退いた。
51年、ジョニー・ブラットンに判定勝でウェルター級王座に就く。以後、ビリー・グラハム、カーメン・バシリオといった強豪の挑戦を退け、7度の防衛に成功。54年にはカール”ボボ“オルソンのミドル級王座に挑戦したが、判定負けしている。8度目の防衛戦でジョニー・サクストンに判定負けしタイトルを失った。

その後もリングに上がり続けたが、負けが込んで57年に引退した。祖国キューバの革命で財産を失い、不遇な晩年時代を送った。
143戦108勝(29KO)30敗5分。

■8位 フェリックス・トリニダード

現役選手の評価は難しい。既に全キャリアを終え評価も定着している過去の名選手と、キャリア途中の彼らを比較するのは無理が生ずるからだ。逆に言えばトリニダードの評価は、今後どんどん上昇していく可能性を秘めているとも言えるだろう。竹がしなうように打ち込まれるハードパンチ、スピード、体のバネ。トリニダードには偉大なる先達王者に勝るとも劣らない才能が溢れている。

アマチュアで51勝(12KO・RSC)6敗の成績を残したトリニダードは90年3月、17歳でプロデビュー。ウィルフレド・ゴメスを育て、ドン・キングとも強い絆を持つイェミル・チャデがマネージャーに就いた。91年には後のIBF・Jウェルター級王者ジェイク・ロドリゲスに右拳を痛めながらも判定勝ち。翌年にはチャベスに挑戦したこともある実力者のアルベルト・コルテスに3回逆転TKO勝ちした。

93年6月、モーリス・ブロッカーを電光石火の2回KOに下し、IBFウェルター級王座に就いた。ダウンを喰らってひやりとさせることもしばしばあったが、早い回復力で必ず逆転した。不敗対決となったカンパス戦でも2Rのダウンを挽回して、4Rに強烈な右ストレートでレフェリー・ストップを呼び込んだ。3度目の防衛戦では同国の先輩王者カマチョに判定勝ちしている。

99年2月、ウィテカーに判定勝ちし、13度目の防衛。9月にはデラホーヤとの「世紀の一戦」で判定勝ちして、IBFとWBCのベルトを統一した。今年3月、デビッド・リードに勝ってWBA・Jミドル級王座に就いている。

38戦全勝(31KO)

■9位 オスカー・デラホーヤ

デラホーヤは一体どうしてしまったのか。トリニダード、モズレーと手痛い星を落とし、順調に歩んできたスターロードに暗い影が落ち始めている。黄昏時と言うには、まだ若いように思える。果して”ゴールデンボーイ”の捲土重来はあるのだろうか。

92年バルセロナ五輪で米国唯一の金メダル。223勝(158KO・RSC)5敗の輝かしいアマ・キャリアを引っさげて、同年11月に華々しくデビューしたデラホーヤは順調にスター街道を突っ走っていく。

94年3月、ジンミ・ブレダルに勝ってWBOJライト級王座へ。7月にはホルヘ・パエスとのWBOライト級王座決定戦に2回KO勝ちして2階級を制覇。95年5月にはラファエル・ルエラスを2回TKOに下し、IBFのタイトルも手に入れた。9月にはヘナロ・エルナンデスを6Rで棄権させ、成長の跡を窺わせる。
慎重なマッチメークに不満の声も囁かれたが、進境著しいデラホーヤは実力を証明することでそんな声も打ち消していった。96年6月、チャベスを初回から圧倒し、4回TKO勝ち、Jウェルター級王座を奪取した。翌年、ミゲール・アンヘル・ゴンサレスを見事な左で圧倒、文句のない判定で初防衛。この頃見せたパワー溢れる左こそ、デラホーヤのベストパフォーマンスだった。

97年3月、ウィテカーを判定に下しウェルター級王座を獲得、4階級を制覇した。98年、チャベスとの再戦に8回TKO勝ち。99年2月にはクォーティとダウン応酬の激戦を制し、対立王者(IBF)のトリニダードとの対戦ムードが盛り上がる。
同年9月18日に激突した「世紀の一戦」は接戦の末、トリニダードに凱歌が上がった。今年6月のモズレー戦にも敗れ、ボクサー生活最大の危機を迎えている。

34戦32勝(26KO)2敗。

■10位 バーニー・ロス

1930年代に3階級を制覇した名選手バーニー・ロスは、執拗な連打で相手を圧倒する粘り強いファイトを身上とした。トニー・カンゾネリ、ジミー・マクラーニン、セフェリノ・ガルシャ、ヘンリー・アームストロングら、強豪を相手に生涯81戦で1度もダウンすることのなかったタフガイでもあった。

1909年、バーニー・ロスことベリル・デビッド・ラソフスキーはニューヨーク・イーストサイドでロシア系ユダヤ人移民の子として生まれた。2歳の時、シカゴのゲットーに移住。14歳の時、父親が店に押し入った強盗に射殺される悲しい事件が起こり、一家は離散。ロスはアル・カポネの使い走りなどをしながら飢えをしのいだ。

「聖バレンタインデーの大虐殺」を見て、ゲットーからの脱出を決意したロスは、アマの経験を経て1929年にプロ転向。33年、ライト級とJウェルター級の2つのベルトを賭けたダブル・タイトル戦でトニー・カンゾネリに勝ち、一気に2冠を獲得した。Jウェルター級のタイトルを10度防衛した後、35年にはジミー・マクラーニンに判定勝ち。ウェルター級王座を奪取して3階級を制覇した。2度の防衛に成功した後、38年にアームストロングに敗れ、タイトルを失った。

81戦73勝(22KO)4敗3分1ND。



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